「離乳食作りながら思いついたんですけど」とタケルが言い出したとき、私は思わず手を止めた。
画面から目を離して、タケルの顔を見た。本気だ。全力で本気の顔をしている。
読者は30代独身男性だよ、と私は言った。タケルは「あ、そうか」と一瞬固まった。でもすぐに「でも本質は同じじゃないですか?」と食い下がってくる。離乳食だろうとコンビニ飯の温め直しだろうと、段取りの効率化という意味では確かに同じかもしれない。でもそれを認めたらこっちがツッコミを入れた意味がなくなる。
横からハルが「……リンさん、本質は同じですよ」とぽつりと言った。お前もかい。タケルが「ほらね!」とニコニコしていた。なんでこっちが孤立してるんだ。
タケルの「冒頭が実話だから切れない」問題
タケルの原稿を読んでいると、だいたい冒頭が長い。今週も例に漏れず、3段落読んでようやく記事の本題が出てきた。
「切って」と私は言った。シンプルに。
「でも実話なんですよ〜」とタケルは言う。いつもそう言う。実話だからこそ面白いのはわかってる。でも読者は、タケルが深夜2時に離乳食を作りながら時短アイデアを思いついた経緯を読みに来てるわけじゃない。
タケルが「でも臨場感が——」と言いかけたところで、ハルが静かに割り込んだ。「ちなみに、冒頭に書いてある『体感温度が3℃下がる』という表現、根拠はどこですか」
タケルが止まった。完全に止まった。部屋の空気まで止まった気がした。「……調べます」と言って、そのままPCに向かった。
10分後、「気象庁のデータと照らし合わせると大体合ってました」と戻ってきた。その数字はちゃんと記事に残って、説得力が出た。タケルのことをツッコんでばかりだけど、指摘されたらちゃんと調べてくる誠実さは本当に好きだ。それを言うと調子に乗るので黙っているが。
6分への30分の熱弁
「6分って中途半端じゃない?」と私が言ったら、タケルが「それが大事なんすよ!」と目を輝かせた。
その後30分、タケルは6分という数字の意義を語り続けた。5分だと感覚的すぎて読者が舐めてかかる、10分だと重く感じて試す前に諦める、6分が一番「ちょっとやってみようかな」と思わせる絶妙なライン——という話を、自分の体験と根拠を交えながらひたすら語った。
熱弁が一段落したところで、ハルが静かに言った。「根拠、出してください」
またそれか。でもこれが正しい。ハルの「根拠出して」は、私たちが何かをふわっと言い切りそうになるたびに飛んでくる。うちの編集部の安全装置みたいなもんだ。コウタは毎回ビクッとしてるけど、私もたまにビクッとする。
「わかりましたよ!」とタケルはまたPCに向かった。結局、行動心理学の研究データを引っ張り出してきて、記事に組み込んだ。この繰り返しが、うちの記事を成立させている。
ミズキとハルの「Android問題」と実機検証の話
ミズキが「場所リマインダー」の記事を得意げに仕上げてきた日のことも書いておきたい。
「できました!」と言うミズキの顔が自信に満ちていた。私が読もうとしたら、ハルが先に「……これ、Android限定ですよ」と言った。
ミズキの顔が一瞬固まって、みるみる赤くなった。iPhoneユーザーが多い読者層なのに、検証をAndroidだけでやってしまっていたらしい。「リンさん、確認してもらえますか……」と小声で言うミズキに、「もちろん」と私は言った。なんとかセーフだったけど、あのときのミズキの顔はしばらく忘れられない。
そのミズキが今週、「自分のスマホで実際に試したら30秒以内にアプリに辿り着けた!」と報告してきた。成長じゃないか、と思ったら、ハルが「元々インストールしてるアプリが少ないんじゃないですか」とさらっと言った。ミズキが「そ、それはそうですけど……!」と悔しそうにしていた。でも実機で試したこと自体は正しいので、そこは評価したい。
コウタが「また画面設定ネタ?」と言ったとき、ミズキが「今回はオートメーションが全然違うんです!」とかなり力説していた。コウタはやや引き気味だったけど、ハルが「Androidの手順、実機で確認済みです」と一言添えてくれて場が締まった。ハルがいないと、私たちはもっとふわっとした記事を世に出してしまう。それは本当に思う。
「15分」を「12分」と言われたミズキの複雑な表情
「15分って言い切っていいですか?」とミズキが私に聞いてきたのは、ある記事の仕上げのときだった。
「ハルに聞いてみたら?」と私が言ったら、ハルが「実測で12分でしたよ」と答えた。
ミズキの顔が複雑だった。13分でも14分でもなく12分、という事実がどこかしっくりこないみたいで、しばらくぼーっとしていた。「じゃあ……約15分、と書いて——」と言いかけたところで私が「12分って書いて」と遮った。またぼーっとしていた。
「12分のほうがリアリティあるよ」と私が言ったら、「そうですね……」と神妙な顔で直していた。端数の数字のほうが信頼感が出るのは本当の話なんだけど、ミズキはいつもきれいな数字に丸めたがる。5分、10分、15分。人間の感覚としてはわかるけど、読者はそのきれいさに「盛ってるな」と感じてしまう。
テラコッタを30分調べた午後と、私の本音
「テラコッタって何色ですか?」とミズキが言い出したのは午後2時頃だった。
記事の中でちょっと色の表現が出てきて、テラコッタという言葉を使いたいらしい。でもその色の定義が人によって微妙に違うから気になって調べ始めたと言う。まあ、それはわかる。でも。
30分後、まだ調べている。
「ミズキ、どうした」と声をかけたら「テラコッタって赤みがかったオレンジなのか、くすんだ茶色なのか、ブランドによって定義が全然違って——」と半泣きで言ってきた。オフィスのエアコンがブーンと鳴っている。コーヒーはとっくに冷めている。窓の外は晴れている。
そこへハルが「だいたいでいいですよ」と一言。
それでミズキの30分が終わった。ハルの「だいたいでいい」は、完璧主義が暴走したとき専用の呪文だと私は思っている。これを言ってもらえないと、ミズキは色の定義を調べたまま記事が書けない。
そういえば、ミズキが「ツール選びよりルーティンが先!」と力説するとき、私はいつも「それ毎回言ってるよね」とツッコんでいる。本人はそのたびにちょっとムッとする。でも実は私が一番そのフレーズに共感しているのは、内緒にしている。新しいアプリを入れるたびに使いこなせずに終わる自分への反省も込めて、毎回ちゃんと聞いてる。
そしてタケルの「赤ちゃんに朝5時に起こされてこれをやったら神でした」という体験談は、ハルに「体験談すぎる原稿ですよ」と笑われながら、でも記事になった。私が一発OKを出したのは、リアルすぎるほどリアルな原稿が、読んでいて笑えたからだ。笑えるものは読まれる。それは確か。
今週もカオスだったけど、記事はできた。タケルは調べる、ミズキは試す、ハルは確認する、コウタはビクビクしながら意外といい角度でツッコんでくる。私はそれを全部見ながら「切って」「根拠出して」「12分って書いて」と言い続ける。
これが時短ラボ編集部の一週間。来週も、たぶん同じくらいカオスだと思う。


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