タケルが会議室のホワイトボードに「給食の段取りと外出の段取りは同じ構造」と書き始めたとき、私は正直「また始まった」と思った。
元給食センター調理師のタケルは、何かといえば「給食で言うと」という話をする。最初のうちは「それ、読者に伝わる?」と止めてたんだけど、ある日ハルが「この例え、すごく腑に落ちます」と言い出してから、私が少数派になった。
今回もハルがメモ帳を取り出して、猛スピードで何かを書き始めた。タケルがちょっと得意げな顔をした。会議室のエアコンが回る音だけがしばらく続いた。
「給食の段取り」は朝の外出準備だった
話を聞いてみると、確かに面白かった。
「給食って、何百人分を決まった時間に出さないといけないから、逆算がすごく細かいんですよ。野菜を切るのは何分前、汁物を温め始めるのは何分前って決まってる。それって、朝の外出準備も構造は同じじゃないですか。終わりの時刻から逆算して、どこで何をするかを組み立てる」
「あ……確かに」とハルが言いながら書いている。
「それ、家でもやってるの?」と私が聞いたら、「やってます。息子が生まれてから、もっと厳密になりました」とタケルが答えた。去年子供が生まれてから、タケルの原稿に「段取り」「逆算」という言葉が頻繁に出るようになった気がする。「冷凍庫は第二の脳」と言い始めたのも確かその頃だ。
「本人が実践してる話は強い」とハルが呟いた。本当にそう。抽象論より、誰かの朝6時のリアルの方が、ずっと読まれる。
私が豆腐を朝に食べることになった経緯
その翌週の会議で、タケルが「豆腐って朝に食べると昼の眠気が減るらしいですよ」と言い出した。
「朝に豆腐?」
私の顔がよっぽど怪訝だったのか、タケルが「リンさん、一回試してみてください」と言った。正直、朝に豆腐を食べる自分が想像できなかった。朝はコーヒーとトースト、それが私の10年来のルーティンだ。所要時間15分、一切迷わない。
でも次の日、なぜか試した。冷蔵庫に絹豆腐があったので、冷奴にして食べた。冬なのに。
昼、眠くならなかった。
「タケル、昨日の豆腐の話なんだけど」と次の日の会議で言ったら、タケルが「試したんですか!」と目を丸くした。「昼の眠気、ちょっと減った気がする」と言ったら、ハルまで「え、私も明日やってみます」と言い出した。
気づいたら編集部に豆腐の伝道が始まっていた。ミズキだけ「えー、朝の豆腐はちょっと……」と渋っていた。まあミズキは朝が弱いので仕方がない。
「3秒」の真実、実測は8秒だった
さて、ミズキの話をしましょう。
ミズキが「洗面台の準備を3秒で終わらせる方法」という記事を書いてきて、「実測値として3秒を使っていいですか?」と聞いてきた。
「それ本当に3秒?」とハルが静かに聞いた。
「本当です。実測値です」とミズキが言い切った。
ハルがストップウォッチを取り出した。私、この人がストップウォッチを持ち歩いてること、今日初めて知った。
ハルが1分かけて検証した。実際にミズキに動きを再現させながら、計測して、計算して、「平均8秒でした」と言った。
ミズキが「……え?」という顔をした。
「でも体感は絶対3秒だった」
「体感と実測は違います」
「いや私の体感的に3秒なんですよ」
「だから体感と……」
「まあ、体感3秒ってことで」と私が割り込んで着地させた。ハルが「それは表記として正確ではないです」と言ったけど、「〈体感3秒〉って書けばいい」と落ち着いた。ミズキはその後15分ぐらい「でも私のやり方だと絶対3秒やった」とこだわっていた。
この編集部で「実測値」と言うには、証拠がいる。
「4000枚溜めた」は本当だった
ミズキには前科がある。
去年の会議で「私、去年スマホの写真を4000枚溜めた」と言い出したとき、全員が一瞬静止した。ハルが「それは盛ってますよね?」とさらっと言った。いつもは控えめなハルが、珍しくはっきり疑った。
「証拠あります」とミズキがスマホを取り出した。スクショを全員に見せた。本当に4238枚あった。
ハルが「……失礼しました」と言った。珍しい光景だった。コウタが「えぐ」と小声で言った。
「次からは数字に注釈を入れて。『実際に〇〇した』って書くと信憑性が出るから」と私が言った。ミズキが「実証済みってことか」と頷いた。
ただ、翌月の打ち合わせで「旅行前日にスマホの容量が不足して詰んだ実話」というエピソードを熱弁し始めたとき、ハルが「その話、今月3回目ですよ」と静かに言った。
「だから説得力があるんだよ」と私がフォローしたら、ミズキが「そう、繰り返すほど身に沁みてる体験だから」と言って、またハルに「それ本文に書いてください」と言われていた。
愚痴と記事の境界線
ミズキは熱量が高い人なんだけど、たまにその熱量の矛先がずれることがある。
「アジェンダを共有しない上司って、会議の時間を本当に無駄にするじゃないですか。終わった後に『それ最初に言ってほしかった』って毎回なって、私のいた会社だと週2回×1時間の会議が完全にムダになってたんですよ。週2時間、月に換算したら8時間、年にしたら96時間ですよ?しかも参加者が10人いたら——」
「ミズキ」と私が止めた。
「それ、記事じゃなくて愚痴では?」
ミズキが「記事にもなります!」と言った。
確かに愚痴と記事は紙一重だとは思う。でも「アジェンダを共有しない上司がむかつく」は愚痴で、「アジェンダがない会議で失われる時間の実態」は記事になる。怒りはそのままでは読まれない。読者の代わりに怒ってあげる形に変換しないといけない。
「怒りの矛先を、読者のためになる方向に向けられたら記事になる」とハルが言った。それは名言だと思った。
ミズキが「じゃあ記事にします」と言って、翌週書いてきた。タイトルは「毎週30分を取り戻す、会議前の3分準備術」だった。愚痴がちゃんと記事になってた。
固有名詞は外して、でも生々しさは残して
先週の編集会議での話。
「私が実際に使ってる時短グッズのリストをそのまま載せたら生々しすぎた笑」とミズキが言い出した。
「固有商品名は外してって言いましたよね」とハルが即座に言った。
「でも具体的な方が伝わるじゃないですか」
「特定商品の宣伝と受け取られる場合は、ジャンルで書いてもらう必要があります。あとステマ規制もあります」
「まあ1〜2個は具体名あってもいいか」と私が言ったら、ハルが「それは都度判断しましょう」と締めた。ミズキが渋々修正を入れた。
そうして出来上がった記事が、妙に読みやすい仕上がりになってたから、ハルの編集はやっぱりすごいな、と思った。固有名詞を抜いた分、読者が自分の状況に当てはめやすくなるんだよね。
——そういえば、タケルが「息子の洗濯物が多すぎて洗濯機が崩壊しかけた」という体験談を原稿に書いてきたとき、ハルが事実確認より先に「それ、純粋に大変でしたね」と言った。
編集会議で「大変でしたね」が出てきたのはたぶん初めてで、なんかちょっとだけ空気が和んだ。タケルが「まあ、なんとかなりました」って笑ってた。
この編集部、毎回なんかある。来週も多分なんかある。


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