「通知、何個残してる?」
ミズキがそう聞いたのは、確か水曜日の午後だった。企画会議の途中、なんとなく飛び出た一言。
「53個」とハルが即答した。
沈黙。
「…え?」コウタが固まった。「53って、今この瞬間の?」
「そう。通知を切ってないから全部溜まってる」
ハルが淡々と言った瞬間、編集部が爆笑した。元国会図書館の司書が、53個の通知を放置している。あの細かいハルが。本人は「何がおかしいの」という顔をしてたのが、またツボにはまって。
笑いが収まったとき、私は気づいたら「それそのまま記事になるじゃない」と言っていた。
「手間」って、やり方を変えないかぎり自分では見えない。通知を見ない人も、通知に追われる人も、全員「これが普通」だと思って暮らしてる。だから気づかない。
そこからこの企画は始まった。
ミズキの「13時間」で会議室が静まり返った
企画の核心がはっきりしたのは、ミズキがあの計算を持ってきた日だ。
「毎週ネットスーパーでカゴに商品を入れ直してたんですけど、それ年換算したら13時間でした。ドン引きじゃないですか?」
会議室がちょっと静まり返った。
13時間。旅行なら一泊できる。映画を10本観られる。サウナに13回入れる(それは私の話だけど)。週に15分、カゴを埋め直すだけの作業が、52週積み重なるとそういう数字になる。
「根拠の計算式を本文に出して」とハルがすぐ赤ペンを走らせた。「週15分 × 52週 = 780分 = 13時間、って明示しないと読者が引く。強い数字ほど出所が大事」
「ズボラなのに計算は丁寧だね」と私が笑ったら、ミズキが「褒めてます?」という顔をした。
褒めてたよ。一応ね。
ミズキは怒られてもツッコまれても、必ずメモを取る。それが好きなところ。
「見えない化」がキマった瞬間
この記事のテーマは「気づいてない時間を見える化する」ことなんだけど、最初タイトルに「見える化」と入れたら、コウタに「ありきたりすぎ」と一蹴された。
「逆に『見えない化』って言ったらどうですか?」とミズキが言い出した。
「見えない化?」私が聞き返す。
「こういう時間って、意識しないとそもそも見えないじゃないですか。最初から『見えない』状態にある。その時間を記事が可視化するって意味で」
…キマった。
「それ採用」と私が言った瞬間、コウタが「タイトル長すぎ!」と赤ペンで削りにかかった。コウタはタイトルの文字数を削るのが異常に速い。最終的に27文字に収めてくれた。元ブロガーの本領というか、あの目はタイトルに命をかけてる人の目。
「週75分」の根拠を全員で検証した午後
ミズキが「週75分が返ってくる」という煽り見出しを持ってきたとき、ハルが「75分の根拠、計算合ってます?」と真顔で確認した。
内訳は、カゴ埋め直し15分・献立考え時間20分・スーパー2軒はしご40分、計75分。
数字は合ってた。ハルが一通り検証して「合ってます」と言った。
でも私は付け加えた。「強い数字は使い方が命なんだよ。根拠が正しくても、読者が『それ私の話じゃない』と思ったら終わり。75分のどこに一番共感するか、本文でちゃんと分解して」
ミズキが「はい」と言いながらメモを取っていた。こういうとき、私はこの仕事が好きだなと思う。
さんま缶トマト煮込み事件(ミズキは知らない)
下書き確認をしてたとき、ハルが急に「さんま缶でトマト煮込みって、本当に合うんですか?」と言い出した。
記事のなかにレシピ紹介があって、「さんまの水煮缶 + トマト缶でパスタ」が入っていた。
「合うに決まってる」とコウタが即答した。
その日の夕方、コウタから「試した、最高だった」とLINEが届いた。
ハルは翌朝「…確認しました。合いますね」と一言だけ言った。自分で作ったのか調べたのか、聞いてないけどどっちでも正しい。ハルの「確認しました」は、本当に確認してる。
ミズキはこのやりとりを一切知らないまま記事が公開されて、後から教えたら「え!そんなことあってたんですか!」と驚いてた。編集部ってこういう小さな実験が、静かに走ってることがある。
「毎週カレー」は却下した。でもミズキは諦めない。
企画の終盤、ミズキが「もう毎週カレーにすれば最強じゃないですか?」と言い出した。
「それは逆算じゃなくて諦めです」と私は即座に返した。
「ええ〜!でも楽じゃないですか」
「楽かもしれないけど、記事にならない。変化のない献立は続かないから」
しぶしぶ引き下がったミズキが、翌週「週ローテで3パターン作っておけば実質カレー問題解決できませんか」と持ってきた。それは採用した。ミズキは本当に諦めない。
初稿を見たコウタが「カレンダーを壁に貼るだけで7割解決するって言ったら刺さる」と一言足した。私がすぐ「それ採用」と言った。
たった一文で、記事の体重が変わることがある。コウタはそういう瞬間を持ってくる。ノリと勢いだけじゃなく、「あ、できそう」という読者の感覚への嗅覚が鋭い。
ちなみにミズキが「それ、まだ手作業でやってるんですか?」を1回の会議で3回言ったとき、ハルが「もう決めゼリフじゃなくて口癖だよ」とそっと指摘した。ミズキは「え、そんなに言いましたっけ」と言ってたけど、ハルはちゃんと3回カウントしていた。
この言葉が出るたびに、記事の柱が一本増える気がする。手作業でやってることって、大体「もっと楽になれる」サインだから。
週75分、年間13時間。そういう数字は、最初から見えてるわけじゃない。誰かが「おかしくない?」と言い出して、計算して、ハルが検証して、コウタが削って、やっと形になる。
この記事がそのきっかけになったら、私はかなり嬉しい。
…でも53個の通知はそろそろ整理してほしい、ハル。


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