取材の途中で、ミズキが自分のスマホを差し出してきた。
「ちょっと、このレイアウトが参考になりそうで——」
カメラロールを開いた瞬間、ハルさんが一言。
「…これ、整理されてないじゃないですか」
沈黙が2秒くらい続いて、ミズキが「えっと……」と画面をそっと伏せた。その日は記事の取材より先に写真の整理が始まって、私は「それ、何秒でできる?」とは聞けなかった。明らかに何秒でも終わらないやつだったから。
こういう週だった、今週は。
記事の登場人物が、ハルさん本人だった件
月曜の編集会議で、私はある記事の草稿を読み上げた。「カレンダーが真っ青で何が何だかわからない状態になっていませんか?」という導入文だ。
読み終わったあと、ハルさんがぽつりと言った。
「…これ、私のことじゃん」
ちょっと笑えた。校正・校閲担当のハルさん(41歳、元国会図書館司書)が苦笑いするのってかなりレアで、私はそれを見て「今週の編集部ログに絶対書こう」と思った。
ミズキがすかさず「ハルさんも今日から色分けしよう!仕事は青、プライベートは緑、リマインダーはオレンジで——」と布教を始めた。ガジェット好きで自称ズボラの天才であるミズキにとって、カレンダーの色分けは宗教みたいなものだ。
ハルさんは「……考えます」と言いながら手帳を閉じた。
3年間一緒にいると、「考えます」の意味がわかってくる。あれは「やらない」だ。
でも実は、この色分け記事を読んで私も少し刺さった。私のGoogleカレンダーも、まあまあ青い。「整理しよう」と思いながら整理しない人間が、整理をすすめる記事を作っている。これが時短ラボの実態です。正直に言います。
スポドリ1.5kg事件と、珍しすぎる褒め言葉
火曜、タケルから原稿が届いた。
開いてすぐ「あ、これは……」と思った。本文の途中に、こんな記述があったのだ。
「実は先週、スポーツドリンクを飲みすぎて1.5kg太りました。水分補給も過剰になると逆効果です」
タケル(28歳、元給食センター調理師、新米パパ)の自滅エピソードがそのまま原稿に入ってきた。しかも1.5kg。数字まで書いてある。
正直、最初は「これ、記事に必要か……?」と思った。でも読んでみると文脈は一応あって、「時短のために何でも最適化しようとすると、こういうことになる」という流れになっていた。
ハルさんが、珍しく言った。
「これ、そのまま教訓にできますね」
ハルさんに褒められるのって、月に1回あるかどうかという頻度だ。タケルは画面越しに「え、マジですか」と3回繰り返していた。私は「珍しいな」と思いながら、確かにその通りだとも思った。失敗談には、説得力がある。自分でやらかして、それを原稿に書いてくれる人は、この編集部の財産だ。
ちなみにタケルは同じ週に「うちの妻で実証済みです」という表現を別の原稿に入れてきて、今度はハルさんに「再現性の裏付けがない」と指摘されていた。「うちの妻(N=1)」はデータにならない、というのはまあそうなんだけど、私は「育児目線は絶対残して」とフォローを入れた。N=1でも、リアルな体験は読者に届く。そこは守りたかった。
「神機能なんで!」を3回止めた話
水曜は、ミズキの日だった。
Googleフォトの記事レビューで、ミズキが「これ神機能なんで!聞いてください!」と話し始めた。自動アルバム、顔認識、共有アルバム、バックアップ設定——止まらない。机の上のコーヒーが冷める勢いで喋り続けた。
1回目:「ミズキ、そこはもう本文に書いてあるから」
2回目:「ミズキ、読者が置いてかれるよ」
3回目:「ミズキ。」
名前だけで止まった。それくらい話してた。
で、そのあとにハルさんが静かに言った。
「…無制限ストレージは2021年に終了してますよ」
全員が「えっ」と止まった。ミズキが「え、それってもしかして……」と画面をスクロールし始めた。私も正直「あれ、そうだっけ」と思った。2021年に高画質保存の無制限が終了して、以降はGoogleアカウントの15GBに含まれるようになっているやつだ。
知っていたようで、知らなかった。ミズキが「神機能」と言い続けていた機能の前提が、5年前に変わっていた。
あの瞬間、一番焦ったのは実は私だ。「それ確認せずに公開するとこだったな」という冷や汗が出た。ハルさんがいてよかった、と心の底から思う瞬間だった。
ちなみに同じ週、ミズキがAndroidの通知チャンネルを熱弁しすぎて私に止められる場面もあった。ハルさんはその間ひとり「集中力が持続するのは23分という説の出典」を静かに調べていて、会議が終わったあと「ちゃんとした研究があることを確認しました」とドヤ顔で報告してきた。
誰も聞いてなかったけど、ハルさんが一番楽しそうだったので良しとした。
「削除基準は3つだけ!」攻防30分
木曜、ミズキが編集会議で叫んだ。
「写真の削除基準って、3つだけなんですよ!ブレてる・暗い・同じ構図が5枚以上、この3つで全部いける!」
ハルさんが即座に聞いた。
「その根拠は?」
ここから30分の議論が始まった。
ミズキ「自分で試して効果があった」、ハル「それは個人の経験で普遍性が証明されていない」、ミズキ「でも読者にとってわかりやすい」、ハル「わかりやすさと正確さは別問題です」、ミズキ「じゃあ何て書けばいいんですか」、ハル「『参考にしてください』とか『一例として』とか」、ミズキ「それだと弱い感じがする」、ハル「弱くていい、正直であるべきです」——。
私は途中から「とにかく書いて」しか言えなくなっていた。
最終的に「あくまで私の場合は3つの基準で整理しています」という表現に落ち着いた。ミズキは「言い切れなくて歯がゆい」と言っていたけど、言い切れないことを言い切るのが一番怖いというのがハルさんの主張で、それは正しいと思う。
通知の話でも似たことがあった。「通知切ったら不安じゃない?」とミズキが言ったら、ハルさんが「3日で慣れますよ」と即答した。
「え、本当に?」
「本当に。私は3日でした」
「それそのまま記事に入れて」と私は笑いながら言った。
これが一番スムーズに決まった瞬間だった。出典も根拠もないけど、体験として本物だから強い。たぶん記事の中で一番読まれる一文になる。
おむつのブランドを書いてはいけない理由
金曜、ミズキが「定期便リストを全公開します!私が毎月頼んでるもの全部!」と宣言した。
ハルさんが「おむつのブランド名は書いちゃダメですよ」と即座に止めた。
「えっ、なんで?」
「比較記事みたいになるから。ブランドを出した瞬間に、読者は『なんでこれ?』って思う。記事の本題がそっちに引っ張られます」
ミズキは「あー……なるほど」と言いながら原稿を修正し始めた。タケルも「そういうことか」とうなずいていた。この人たち、ハルさんの指摘でちゃんと学んでいる。
そのあとミズキが「実はうちの夫婦でもやってて——」と定期便の話を続けていたら、なぜかタスク管理の話になって、ハルさんが「タスク名に絵文字を入れてもいいですか?」と聞いてきた。
ミズキ「絵文字あったほうが見やすい!」、ハル「視認性は上がるかもしれないけど検索しにくい」、ミズキ「検索はタグでやるから大丈夫」、ハル「タグが機能している前提が——」。
私が「本題に戻って」と言うまで5分かかった。
——振り返ると、今週の私の仕事の半分くらいは「止める」か「戻す」か「フォローする」だった気がする。
ミズキを3回止めて、ハルさんとミズキの30分議論を仲裁して、タケルの「妻N=1」は残すように言って、絵文字トークを打ち切った。編集長ってそういうもんだと思っている。みんなが好き勝手に走れるのは、誰かが「それ、何秒でできる?」って言いながらペースを整えてるからだ。
来週もミズキは何かを熱弁するし、ハルさんは静かに核心をついてくるし、タケルはまた自分の失敗を原稿に入れてくる。
整理されてないカメラロールも、スポドリ1.5kg増量も、根拠のない削除基準も、全部この編集部の燃料だから。
ちなみにハルさんのカレンダー、今週も真っ青のままだった。
色分けは、まだ「考え中」らしい。


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