「リンさん、それまだ手作業でやってるんですか?」
月曜の朝10時、コーヒーを2口飲んだところで言われた。振り返ったらミズキが、マウスを持ったまま目を輝かせてこっちを見ていた。
問題の「それ」は、毎週月曜にやっている公開済み記事のURLをスプレッドシートにコピペする作業だった。所要時間は約12分。「12分あればサウナで一セット入れるな」と思いながら毎週やっていたやつ。
正直、12分なら別にいいかと思っていた。でもミズキに言わせれば「週12分×52週=年間10時間超の損失」らしく、目の前でサクッと計算されてしまった。計算が速い。嫌いじゃない。
「スクリプト書いたら10分で終わります」
「スクリプト作るのに何分かかるの」
「30分くらいですかね」
「じゃあ今は赤字じゃん」
「でも来週からはゼロ分です」
この会話、何秒でできる? 私の中の元テレビADが静かに問いかけていた。
「だったら全部やっちゃいましょう」の破壊力
問題はその後だった。
ミズキの「スクリプト30分」発言をタケルが聞いていて、「じゃあ僕の取材メモの整形も頼めますか」と言い出した。タケルにとって取材メモの整形は毎回「段取りが悪い仕事」の筆頭で、「料理で言うと材料だけあって切ってないやつ」と常々こぼしていたやつだ。意味、ようやくわかった。
ミズキは「いいですよ」と即答した。コウタも「俺のSNS文章生成もお願い!」と便乗した。ハルだけが「…依頼内容は文書で出してください」と静かに言って紅茶を飲んだ。
こうして月曜の午前中、編集部は突然「ミズキへの自動化依頼書」を書く時間になった。依頼書を書くために手が止まる、という逆説に気づいたのは昼過ぎだった。
オフィスはいつもより静かだった。みんながカタカタとキーボードを叩いている。コーヒーメーカーが3回鳴った。何かが始まる予感がした。良い意味で、ではなく。
昼過ぎに起きた悲劇(URL編)
14時ごろ、ミズキが「URL収集スクリプト、できました」と告げた。
さっそく動かしてみたら、2019年のアーカイブ記事を含む全788件のURLがスプレッドシートに流れ込んできた。Excelが少し重くなった気がした。
「直近の公開分だけでよかったんだけど」
「あ、仕様確認してませんでした」
「788行あるよ」
「削除スクリプト書きますか」
「……とりあえずコーヒー飲もう」
タケルが「段取り8割、作業2割ってよく言うじゃないですか」とつぶやいた。編集部でそれを言うな。というかお前も依頼書の段取り甘かったじゃないか。
ハルが静かに画面を覗き込んできた。「……URLだけじゃなくて、公開日も取れますか? 実はそっちのほうが本来の目的に合っていませんか?」。あの人は本当にいつもいいタイミングで付け足してくる。でも正論すぎて反論できない。
結局その日、スプレッドシートは一度まっさらに戻された。明日また仕様書を書き直す。
火曜日、静けさの中のきな臭さ
火曜は奇妙に穏やかだった。
ミズキは朝から無言でコードを書いていた。タケルは取材の日で不在。コウタはハルに渡した原稿のチェックが返ってくるのを待っている時間で、手持ち無沙汰そうにスマホを触っていた。
「コウタ、暇そうだね」と声をかけたら「暇じゃないです、待機中です」と返ってきた。「何の違いがあるの」と言ったら黙った。かわいい。
ハルが「……コウタくん、ここの数字、出典はありますか」と静かに聞いた。コウタが「えっ」と青ざめた。
それが3回繰り返された。
火曜の午後3時、コーヒーメーカーの前でハルと2人になった。「自動化、うまくいきそうですか」と聞いたら、紅茶のティーバッグを丁寧に引き上げながら「……仕様の詰めが甘いと、自動化した先で問題が出やすいですね」と言われた。
知ってる。わかってる。でも言い方がうまい。
水曜日、コウタが何かを壊した
水曜の朝、ミズキが「SNS文章生成、プロトタイプできました」とコウタに渡した。
コウタは「神か!!」と言って即座に試した。5分後、「俺のXアカウント、同じ文章を3回連続で投稿した」と青い顔で戻ってきた。
「テストは別アカウントでやってと言いましたよね」
「言ってたっけ?」
「言いました。Slackで3回」
ハルが紅茶をすすりながら「……それは自動化の問題ではなく、確認の問題ですね」と言った。コウタが小さく縮んだ。あの子、ハルの前だと本当に別人になる。
私はとりあえず、コウタのXの「重複投稿を謝るポスト」の文章を手作業で書いた。12分。
「リンさん、それ自動化できますよ」とミズキが言ってきた。
「謝罪文の自動化は今はいい」と答えた。
木曜深夜、タケルからLINEが来た
23時ごろ、スマホが震えた。
「ミズキさんに頼んだ取材メモ整形スクリプト、試してみたんですが、うちの冷蔵庫の写真も添付されてました。なんで?」
翌日聞いたら、タケルのDropboxが取材メモと写真フォルダを同じ階層に置いていたらしい。「冷凍庫は第二の脳」論者のタケルは、取材メモとレシピと娘の写真を同じフォルダに入れていた。脳の中がそういう構造になっているらしい。ある意味すごい。
「さすがにそれは整理してください」とミズキは言った。
「でも整理する時間がないんですよ」とタケルは言った。
「だから自動化しようとしたんですよね?」
「うん、でも写真は自動整理してほしくないし」
「じゃあ手で分けてください」
この会話、何秒でできる? 私はふたたび胸の中で問いかけた。
金曜の朝、急遽「タケルのフォルダ整理会」を30分セットした。タケルの「冷凍庫の第二の脳」には、本当にいろんなものが入っていた。娘の離乳食記録、先月の取材音声ファイル、あと去年のBBQの写真。全部Dropboxに同居していた。
「これはこれで管理されてるってことですよね?」とコウタが言ったら、ハルが「……管理とは体系的な整理を指します」と静かに言った。コウタがまた縮んだ。
金曜夕方、振り返りで1時間が消えた
週末の打ち上げ前に15分だけ振り返ろうとしたら、気づいたら1時間経っていた。
ミズキは「来週もう少しちゃんとした仕様書フォーマット作ります」と言った。
タケルは「フォルダ整理が一番時間かかりました」と言った。
コウタは「テストは絶対別アカウントでやります」と言った。
ハルは「……全体的に、自動化前の現状把握が甘かったと思います」とまとめた。
正論すぎて全員が黙った。3秒くらい。
私は「それ、何秒でできる?って考える前に、今何秒かかってるかを計ってなかったね私たち」と言った。ハルが静かにうなずいた。タケルが「料理で言うと、レシピ読む前に冷蔵庫を開けちゃったやつですね」と言った。なんとなく全員がうなずいた。
この週、自動化で節約できた時間は試算で週3時間。でも準備・修正・確認・謝罪・フォルダ整理で消えた時間は……聞かないでほしい。
打ち上げのサウナ飯屋で思ったこと
打ち上げは近所のサウナ飯屋だった。薄暗い店内に、白木のカウンター。サウナ上がりの常連さんたちが黙々とご飯を食べていて、私たちだけが少し賑やかだった。
タケルが「子供が生まれてから銭湯全然行けてないんですよ〜」と言って、コウタと私で「じゃあ来月みんなで行こう」という話になった。ミズキは「スチームサウナの温度をスマホで調節できる施設ないですか」と言っていた。ハルは「個人的には浴場の建築史を調べるのが好きなんです」とひとりでスマホを見ていた。
このメンバーと毎週仕事してるんだな、と思ったら、急にもろもろがどうでもよくなった。788行のスプレッドシートも、重複投稿の謝罪も、冷凍庫の写真も。
月曜、またミズキが何かを自動化しようとするだろう。タケルが「冷蔵庫で言うと」と例えるだろう。コウタがハルに詰められるだろう。そして私がどこかで「それ、何秒でできる?」と言って、全員でまた考えるんだろう。
時短の道は、遠い。でも、楽しい。
来週のスプレッドシート更新、まだ手作業でやる予定です。スクリプト、まだ直ってないので。

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