ミズキが「沖縄旅行の計画、29分で全部終わりました」と宣言したのは、確か水曜の午後2時ごろだった。
「え、29分?」
思わず聞き返したら、ミズキはドヤ顔で「ホテル・フライト・観光スポット・ランチのお店、全部です」と言い切った。私の隣でハルがコーヒーカップをそっと置き、「その29分に、トイレ休憩は含まれていますか?」と静かに聞いた。
コウタが「それ俺も気になってたやつ!」とすかさず乗っかり、ミズキが若干ムッとしながら「含まれてません!」と主張する。「ならスクリーンショットで証明してほしいです」とハルに詰められ、ミズキはスマホのカレンダーアプリを開き始めた。
私は笑いを堪えるのに必死だった。
これが私たちの編集部の、わりと普通な水曜午後だ。オフィスにはキーボードの音と、誰かが淹れたコーヒーの匂いと、ときどきこういうやりとりが混ざっている。そしてそのまま、なんとなく記事が1本できていく。
給食センター出身の男が記事を書くとき
翌日、タケルが「これ、給食センターで毎日やってた段取りじゃないですか!」と興奮した声を上げた。
私たちが議論していたのは、食材の先取り仕込みに関するネタ出しだった。野菜を種類ごとに切って冷凍しておく流れを図に起こしていたら、タケルの目がキラッとしたのだ。元給食センター調理師のタケルは、400人分の仕込みを毎日やっていた人間だ。その段取り力は、書く記事ににじみ出る。
「じゃあ記事にしよう」と私が言ったら、ハルが「葉物の酸化はどうなりますか。ほうれん草やレタスは冷凍前の処理によって食感が全然違いますよね」とスッと聞いてきた。ハルの指摘は毎回的確で、誰も反論できない。
タケルは「確認してきます」と言い、翌週に「3種類のレタスを冷凍して実食テストしてきました。問題なし、GOです」と報告してきた。私は即「掲載決定」とメモに書いた。確認から実食テストまで1週間。これもタケルの段取りだ。
タケルが書く記事は、体温がある。去年子供が生まれてから特にそうだ。「玄関トレイに補水ゼリーと体温計と保険証のコピーを常備してる」という情報がさらっと混ざっていて、それが妙にリアルで刺さる。先日は「新玉ねぎは製氷トレーで冷凍するのが最強です」と力説してきて、ハルに「一般家庭に製氷トレーがあるとは限りません」とバッサリ言われた。
私は一瞬迷って「そのまま掲載でいいです」と判断した。製氷トレーを持っている人には刺さるし、持っていない人には「買ってみようかな」と思わせる。それで十分だ。
ちなみにタケルの口癖「うちでもやってみたんだけど」は、1本の原稿に11回出てきたことがある。ハルが「7回削りました」と静かに報告したとき、打ち合わせのテンションが一瞬ゼロになった。タケルは「え、そんなに言ってたんですか」と本気で驚いていた。
リン(私だ)が「記名でここまで熱くなる人、初めて見た」と言ったのはそのときだ。タケルは恥ずかしそうに笑っていたけど、私はその熱量が好きだ。体で知っていることを書く人間の文章は、どこか違う。
「呪い」か「誇張」か、コウタの「でも刺さる」が決める
ミズキが「週3回スーパーに行くのは呪いです」と言い出したのは、買い物頻度を減らすコツについての記事を書いているときだった。
「呪い……?」
「断ち切れない習慣は全部呪いなんです」とミズキは言う。ハルが「誇張です」と即座に返し、ミズキが「でも読み手には刺さります」と反論する。
そこにコウタが「いや”呪い”はキープしよ!俺なんか毎日スーパー行ってたから普通に刺さったもん」と口を挟んだ。ハルが「コウタさんは毎日行っていたんですか……」と若干引いていたが、コウタは意に介さない。
「でも刺さる」はコウタの最終兵器だ。これに反論するのは難しい。なぜなら、実際に刺さっている人間が目の前にいるから。毎日スーパーに行っていたという圧倒的な実績を持つ男が「刺さった」と言っている。それは証拠だ。
結果、「呪い」はそのまま生き残った。初稿にあったもっと激しい表現が2か所削られた代わりに、「呪い」は残った。ハルが「残した表現の責任は取ってください」とミズキに言い、ミズキが「もちろんです!」とノリよく返す。毎回こういう感じで、1本の記事ができていく。
スクショ祭りを阻止した日、グレースケールの天才の話
あるMTGで、ミズキが「この記事、スクショをもっと入れましょう!設定画面を全部キャプチャします!」と言い出した。
ハルが「ミズキさん、また設定画面のスクショ撮りすぎです」と静かに言った。「また」という一言が地味に重い。
「でも視覚的にわかりやすいほうがいいじゃないですか」とミズキが主張すると、ハルが「スクショ祭りは別のブログでどうぞ」と一刀両断した。私も「テキストで再現できるところはテキストにしよ。スクショが必要な場面だけ絞って」と言うと、ミズキが「……わかりました」と素直に引いた。最終的にスクショは3枚に絞られた。ミズキはこういうとき案外あっさり折れる。
同じ週、ミズキが「グレースケール、天才の発想じゃないですか?」と力説した。スマートフォンの画面をグレースケールに設定するとSNS依存が減るという話だった。ハルが「グレースケールを発明したのは別の方です」と返し、私は笑いをこらえた。ミズキが「そ、そうですね……」としょんぼりしたところで、コウタが「でも使いこなしてる人は少ないよ!それが大事!」とフォローした。コウタのフォローはいつも若干ピント外れだけど、雰囲気は救う。それはそれで大事な役割だ。
そのまた同じ週、ミズキが「花粉症歴15年なので、崩れないメイクの話は私に任せてください」と宣言した。ハルがすかさず「その根拠はご自身の経験でしょうか、それとも文献等ですか?」と詰め始め、ミズキが「……体験談です」と縮んだところで、私が「体験談として書けばOKです」と仲裁した。花粉症歴15年の実体験は、文献よりリアルな場合もある。そのまま記事になった。
ハルというブレーキが、この編集部には必要だ
ハルが校正に入ると、原稿は静かになる。
語気が強すぎる表現は丸められ、根拠の曖昧な一文には「これは何に基づいていますか」という注釈がつく。タケルの「うちでもやってみたんだけど」を7回削ったときも、ミズキのスクショを3枚に絞ったときも、ハルはいつも静かだ。声を荒げたのを、私は一度も見たことがない。
タケルの玄関トレイの記事を校正したとき、ハルが「補水ゼリーの表現が商品名っぽくなっています」と赤を入れてきた。タケルが修正して戻してきたのを見て、私は「それでGO」と言った。3分もかからなかった。
「それでGO」の一言が、私の中では最高のジャッジだと思っている。
フリーランスになる前、テレビADだった頃は、判断を上の人間に預けることが多かった。今は自分が「GO」を言う人間だ。責任は重い。でもその分、スピードが出る。ハルがブレーキを踏んでくれるから、私はアクセルを踏める。
ミズキの原稿に「テンション高すぎ」と赤を入れた箇所が今週2か所あった。でも読み返したら、どちらも削る理由がなくて、結果そのままGOにした。テンションの高さが武器になる場面が、たしかにある。そのバランスを判断するのが、編集の仕事だ。
29分の証拠は、まだ出ていない
ミズキの沖縄計画29分は、いまだに証明されていない。
あれから3日後、ミズキが「あの……29分というのは、トイレ休憩を除いた純粋な検索時間でした」と自己申告してきた。ハルが「ならばスクリーンショットのタイムスタンプを確認できますか」と返し、ミズキが「スマホの電池が切れていて……」と言い訳を始めた。コウタが「あっ、”電池”のせいにするやつ!」と笑い、私は笑いを堪えるのに必死だった。
毎週誰かが何かを実感し、誰かに詰められ、誰かが笑っている。
ハルは今日も誰かの原稿に静かに赤を入れているだろう。コウタは「でも刺さる」と言い続けるだろう。タケルはきっと来週も「うちでもやってみたんだけど」と言いながら原稿を送ってくる。ミズキはまたスクショを撮りすぎて、また止められるだろう。
それで、記事が1本できる。
私はこの編集部が、けっこう好きだ。


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